神戸地方裁判所姫路支部 昭和34年(わ)360号 判決 1959年11月27日
被告人 井上八百次
明四一・九・二三生 無職
主文
被告人を懲役一年六月に処する。
但しこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
押収にかかる刺身庖丁一丁(証第一号)はこれを没収する。
理由
(罪となる事実)
被告人は日本通運株式会社曾根出張所に作業員として勤務していたものであるが、昭和二九年頃より競輪にふけり公休日や日曜毎に各地の競輪場に通いその都度五千円乃至一万円位を費消し、総計約百万円に及ぶ多額の金員をこの為に損失し給料では不足するので田地も売り払い、当時から高砂市曾根町西の町二五八一番地の一質商位田乙一から金を借りていたが、その借金がかさんで工面がつかず遂に勤務先も退職し、その退職金で一旦右借金を清算したものの、病みついた競輪がやめられずその後又右位田から従来どおり月一割の利息で数回にわたり合計六万円を借りるようになり、昭和三四年四月頃からは右借金の利息の支払もできなくなつたため位田の催告も次第に厳しくなつてきたので、他人を介して右借財の示談交渉を依頼したのにそれに応じないばかりか、被告人が娘婿名義で勝手に借りていた一万円に対しその事情を知りながら何の予告もなく直接右娘婿に対し支払命令を申請したり、最近路上であつた位田の態度がいかにも被告人を冷笑したように思えていたところ、同年八月一六日夜たまたま自宅で焼酎を飲んでいるうちに右位田の仕打を思いおこし、今迄は無理をしても高い利子を払つてきたのに同人のやり方があまりにも苛酷で被告人の面目をもつぶすようなことをしたり、そのうえ人を馬鹿にしているように思え、無性に腹立たしくなつていつそ同人を殺害して恨みを晴そうと決意し、物置に置いてあつた買いたての刺身庖丁(証第一号刃渡約二〇・三糎)を携帯して家を出て右位田方裏を流れる天川の川岸に着衣を脱ぎ捨てパンツ一枚になつて、深みでは刺身庖丁を口にくわえて泳ぎ渡り、翌一七日午前〇時過頃右位田方の塀を乗り越えて同人方裏庭に侵入し、「どいつもこいつも殺してもうたる」等と叫びながら同人方寝室等に押入つて同人を探し求めたが、同人が家族と共に被告人侵入の騒音に驚いていち早く家を飛び出し逃走してしまつていたので、同人を見付けることができず、以つて住居侵入と殺人の予備をなしたものである。
(証拠の標目)(略)
(訴因中殺人未遂を認めなかつた理由)
判示殺人予備の点は本来の訴因は、被告人は(中略)位田乙一を殺害して恨みを晴そうと決意し同年八月一七日頃午前〇時過頃刺身庖丁を携帯して右位田方裏口から侵入したが、右位田が危険を感じてその場を逃走したため殺害の目的を遂げなかつたものであるとの殺人未遂となつているのであるが、前示各証拠によると、被告人は判示認定のように被害者を殺害しようと決意し刺身庖丁を携帯して同人方に侵入してから後は、裏縁側ガラス障子を叩きながら「殺してしもうたる」等と叫び植木鉢二、三個を右ガラス障子に投げつけ破壊個所から同人方屋内に入り、奥六畳の間を通つて被害者を探し求めて遂に同人の寝室にまで侵入した後、そこを通り抜けて同家表路上に出たところ、連絡を受けて駆けつけた警察官に逮捕されたものであつて、被害者及びその家族は被告人侵入の際の物音に驚いてすでに表戸を開いて逃走していたので、被害者は勿論その家族の姿も見付けることができなかつたのであつて、その間何ら被害者のための実行々為に及んでいないことが認められる。本件のような場合被告人が刺身庖丁を携帯して被害者宅に侵入し被害者の姿を探し求めて屋内を通り歩いた行為自体を以つては未だ殺人の実行々為ということはできない。その他殺人の実行々為を認めるに足りる証拠は何もない。
従つて、殺人未遂については証明が無かつたことに帰するが、同一訴因中殺人予備を認めたので主文で無罪の言渡をしない。
(法令の適用)
判示所為中住居侵入の点は刑法第一三〇条に、殺人予備の点は同法第二〇一条、第一九九条に各該当するところ、住居侵入罪については所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条によつて重い住居侵入罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、諸般の情状刑の執行を猶予するのを相当と認め同法第二五条第一項第一号に従つてこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、押収にかかる刺身庖丁一丁(証第一号)は本件殺人予備の犯罪行為に供したもので犯人以外の者に属しないから同法第一九条第一項第二号第二項によつてこれを没収することとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 福島尚武 藤野岩雄 西池季彦)